法悦の泉 親鸞会会員喜びの声

::親鸞聖人のみ教えを喜ぶ人たち

高森顕徹先生のお話聞かねばなんねえぞ

岩手県の太田弘江さん(仮名)の母、八重山ナツさん(仮名)は若くして仏法喜ぶ身となり、
「因果の道理狂いがないぞ、一息切れれば後生は一大事」
と東北や北海道まで伝え歩いていた。
 そのナツさんが78歳の時、初めて高森顕徹先生のご法話に参詣した。
 ナツさんの喜びようは大変なもだった。
「寺の分からん話と全く違う。最初から最後まで真実のみ教え。
 一言一言、分かるようにお話してくださる。こんな先生がおられたとはたまげた」
と今まで縁のあった人々に先生のお話を聞くようにと、勧めるようになった。

 ナツさん、もとは氏族の子として生を受けたが、5歳の時、お父さんを亡くした。葬式も終わらぬうちに、亡父の借金で家は破産、五人の子供達が残された。姉は紡績工場、兄はでっち奉公、ナツさんは村で1,2を荒そう財産家に養子に出され、家族はバラバラになってしまった。
 ところが、もらわれていった八重山家も、父親が他人の保証人で財産をすべて失った。途方に暮れた家族は北海道の開拓に向かったのである。
 北海道で大変な苦労をし、ナツさんは年頃になって岩手に帰り結婚したが、婿にきた夫の行儀の悪さに見切りをつけ、すぐに離婚。二人目の夫は三ヶ月後に精神の病にかかり、殴る蹴る之暴力をふるう。その仕打ちに耐えかね、13年後、離婚した。
 さらに、育ての親は泥棒に殺され、まさにこの世の自業苦であった。

 私はこの苦しみはどこから来るのか、死ねばどうなるのかと仏法を求めたのであった。
 やがて、阿弥陀仏に救いとられ、世界一の極悪人は私であったと、懺悔と感謝、法悦の身となったのである。
 以来、ナツさんの生活は、仏法中心へと変わった。女手一つで建てた家は、「仏法のための家」と、たびたび布教使を招いて法話を開き、いつも仏法の話ばかり。村の人は、「また始まった」と嫌がったが、娘の弘江さんは幼心にいつも、「そうだなあ」と思って聞いていた。

 無駄遣い一つせず、
「仏法に使ったお金は必ず生きる」
「仏法はヒマを作って聞くもの。何とか聞きたいと思えばヒマは作れる」
と家の仕事は夜中にして日中は聴聞。とにかく働き者でいつも明るい笑顔のナツさんだった。

 昭和63年、87歳のナツさんは3カ月床に伏し、亡くなった。最後まで意識はハッキリしていて、別れの近いことが目に見え、悲しくて涙をかくして帰る弘江さんの背に、
「高森顕徹先生のお話聞かねばなんねえぞ」
と、ナツさんの声が身に沁みた。
 最後まで弘江さんを案じてくれたナツさん。ご法話会場ではいつも後ろを振り向き、弘江さんの姿に、
「他の誰が来るよりも、娘の来たのが、うれしい」
と顔をほころばせたナツさん。今、弘江さんも、有縁の人々に、親鸞聖人のみ教えをお伝えする日々である。
「この母のおかげで私も、多生にも遇いがたい真実に遇わせて頂きました。
全力で光に向かって進ませて頂きます。笑顔の母に会える日を念じて」。


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